脳
というわけで
ブログのコンセプトが不明すぎる
ものすごく唐突だけど
パーソナルデザイン×カラオケ論
大袈裟に銘打ったものの、小ネタである。
パーソナルデザインと、カラオケで得意な(好評を博す)曲目には多少の関係性があるのではないか。
パーソナルデザインの分析に人柄や声質も考慮されることを考えれば、そんなに突飛な話ではないのではないように思う。
だってアバンギャルド代表倖田來未(以下敬称略)は月曜がどうしたみたいな日常的な情景を歌ってるよりよくわからないキューティーハニーとかを歌ってる時の方が替えの効かない個性が光るように思えてならないし
ロマンス代表由紀さおりはデビュー曲から一貫して色っぽい。
アイドルはもっぱらキュートが多いし
ストイックな演歌が似合う石川さゆりや坂本冬美は、派手なメイクも乱れ髪もカジュアルな服も遊びのある装飾もビックリするくらい似合わず、正統派の着物姿が一番オーラに満ちている。(グレースっぽいけれど、プロの見解を見たことがないので断定は避ける)
一方どうにも正統派の枠に収まりきらないらしい氷川きよしは、演歌なのか演歌じゃないのかわからない独自のラインを行ったり来たりしている。
宇多田ヒカルはかなりいろいろなスタイリングを経つつも今のマニッシュカジュアル(?)路線が一番女らしくて美人に見えると思うのだけど、中性感のある声と、テクニカルだがアカデミック感のない歌い方の感じにもぴったり合っているように思う。
パーソナルデザインから歌のジャンルが特定されるとかそんな乱暴なことはないと思うけれど、
自分のデザインイメージに合った曲を一曲見繕って十八番にしておくと、気心の知れない人と行くカラオケなどで強い味方になってくれるのではないだろうか。
きっと映えると思うので、デザインタイプがわかっている人にはぜひやってみて欲しい。
ちなみにアバンギャルド&ボーイッシュの私は、どうも男歌と人間じゃない系の歌で比較的ご好評いただく。
ハイスタイルの夫は、なんだかわからないがラップが様になる。
以下余談。
歌がうまければ何でも歌えるけれど、それでもやっぱり良さが映える曲とそこまででもない曲というのはあるように思う。
美人なら何を着てもアラが目立ちにくいのと一緒かな。
あるいは、とても演技が上手い役者さんとか。
それは近年の松浦亜弥を見ていてとりわけ感じるのだけど、彼女はやっぱりちょっと変わったところのある曲やテンションの高い曲(色々な意味で)、可愛らしさのある曲がとびきり似合うんじゃないかな、と思う。
抜群に安定した歌唱力をお持ちなので、最近『ひこうき雲』のカバーが注目されていますね。
長年のアイドル人生の反動で「普通のいい歌だって歌える!」という方に振れているのかと思うのだけど、そしてもちろん歌えるのだけど
彼女のような個性を持った人がわざわざ『正統派』一色になってしまうのは、なんだかもったいないような気がする。
歌唱力を活かしつつ、ちょっとヘンでかわいい、彼女の魅力を活かすしっかりした曲を誰かつくってくれないかな。
自分が聴きたいだけの、大きなお世話です。
洒落ていること
私のパーソナルデザインはキュートアバンギャルドで、アバンギャルドは「凝ったデザイン」とか「洒落たもの」が似合う、小粋なタイプらしい。
小粋とは程遠い人生を送ってきた私は、このへんの事情を飲み込むのにわりと時間を要した。
というのが私が至った結論で、勝手に溜飲を下げて満足している次第である。
けれど他のアバンギャルドさんのパーソナルデザイン理解を妨げるようならば、見てしまった方にはさらっと流していただけると幸いである。
そうは言っても
ちょっと間が空いてしまったけれど…
そうは言っても、である。
やはり客観的に見て似合うからと言って、誰かに押し付けられた服を渋々着ていたら、それはその人の一番輝ける姿とは違うと思う。
あるいは、勧められたから、自分ではちょっと納得行ってないんだけど着てみてる、とか。
これは私は、わりとやりがち。
逆に、客観的にどうかは知らないけど、これが好き!というポリシーを持って選んだ物を身につけている人は、やはりなんとなく素敵な感じがする。
(必ずしもそれを身につけていることによって少しでも美男美女に見えたり、スタイルがよく見えたりするかはともかく)
お洒落な人や美意識の高い人は、ここの選び方の質が違うのだと思うけれど、ベースの思考回路はあまり変わらないのじゃないかという気がする。
「好き!」って気持ちが判断基準になるというところ。
(基本的に人は成熟する程、相対的な見方、様々な関係性を踏まえた考え方が出来るようになっていくと思う。ファッションリテラシーが高まる程、自分という素材や今持っている服との関係性を踏まえた上で、の「好き」になっていくような気がする)
○○診断などのイメージコンサルティングも、自分を知ること、自分のイケている状態を知ること、そんな自分に愛着を持つこと、その気になればいつでもイケている状態に持っていける術を身につけること…が大事だと思う。
多少時間がかかっても、「愛着を持つ」「好きになる」が、すごく大事だ。
でなければ、せっかく教えてもらった似合うものも「好き!」で選べないし、あるいは誰かに勧められたものがいまいちの時に、「好きじゃない」で切り捨てることができない。
せっかく得た知識も、主客が逆転してしまったら台無しだ。
しあわせを感じたかったら、主体的に生きるしかない。
主体的に生きていくためには、自分の感覚に依るしかない。
粗末にしている自分の感覚なんて、信じられない。
もっとポジティブな表現で書けるとよかったんだけど。
たぶん大抵の人は当たり前に好きなものを買って着ていると思うのだけど、ちょっと自分に言い聞かせる意味もあり記事にしてみた。
いい加減、目の前に衣類があったら、自分にとってどれくらいOKでどれくらいNGかおおよその見当はつくようになっているはずだと思う。それでもなぜか、時々何を信じていいかわからなくなり、店頭で発狂しそうになることがある。(もちろん本気ではない)
いいのだ、「好き!」ならば、例え間違ったって。
どういうわけか知らないけれど、日によって似合っていると思える服は違ったりして、それはコンサルティングで勧められた服であっでも例外ではなかったりする。(たぶん客観的には変わらないのだけど、自分の気分とか主観の話ね)
直感に従って生きていくしかない、んだなあ。
今度日を改めて、「むしろもっと間違わせろ!」という話も書きたい。