洒落ていること

私のパーソナルデザインはキュートアバンギャルドで、バンギャルドは「凝ったデザイン」とか「洒落たもの」が似合う、小粋なタイプらしい。

小粋とは程遠い人生を送ってきた私は、このへんの事情を飲み込むのにわりと時間を要した。


「凝った」は、なんとなくわかる。
ファッショナブルの小型版だから、結構なインパクトが必要なのだけれど、ファッショナブルタイプのようにデザインの大きさ・スケール感でそれを醸し出すことが出来ないので(それをやるとサイズ感に負ける)、必然的に形や柄や装飾の工夫で同等のインパクトを得ることになる。
しかし、「洒落た」とはなんぞ?


iPhone内臓のどこぞの辞書によると、『洒落』とは「気の利いた服装や化粧で身なりをととのえていること」らしい。
『気が利く』で引くと、「いきである。しゃれている」と出てくるので困る。


いや、私だってオシャレな感じがどういう感じかのイメージくらいはわかる。
しかし、フェミニンタイプの説明が「フリルや繊細な装飾が似合う」だったりするのに比べると、若干漠然としているというか、観念的なのが気になっていた。(もちろん具体的なアドバイスはあるし、変わった物・真面目でない物が似合うので、それ以上定型の表現に落とし込みきれないのだと思う)
何かと自分なりにしっくり来る定義が欲しくなる私は、全体を総括しつつ、観念的でなくアバンギャルド感を説明する言葉を探していた。

で、見つけた。
というか、イメージコンサルタントの方のアドバイスを聞いているうちに、ピンと来る言葉に出会った。
キーワードは「機能性」である。
『洒落』=『粋』=『気が利いている』とは、心を喜ばせるための遊びがあることだ。
それは、物理的な機能性とは全く関係ない…というか、「オシャレは我慢」と言うくらい、むしろ相反するものであることが少なくない。
私は「真面目なものが似合わない」のと同様に、「機能的っぽいもの」も似合わないのだった。
走りやすそうなクッションの効いたスニーカー、たくさん物が入る頑丈なリュック、紫外線をばっちりガードしてくれるつば広の帽子、似合わない。遊びがないから。(他のタイプでも色々な事情でこれらが似合わない人は多いと思うが)
スポーティさゼロのヒールスニーカー、物が入らなそうなミニリュック、全く日差しが防げないし防寒にもならないコンパクトな帽子、似合う。機能的じゃないから。

つまり『機能的には何の役にも立たない遊びがあること』がアバンギャルドにとってこの上なく重要であり、これを基準にすれば、どんなにセンスのない人でもアバンギャルド的か否かの判別ができるはずだ!

というのが私が至った結論で、勝手に溜飲を下げて満足している次第である。

けれど他のアバンギャルドさんのパーソナルデザイン理解を妨げるようならば、見てしまった方にはさらっと流していただけると幸いである。


しかし、当然ながら『機能的にはなんの役にも立たない遊び』は、大方のおしゃれな人の格好に大なり小なり登場している。
柄なんて機能的にはなくても良いし(迷彩柄は除く)、ベルトはズボンが下がらないならしなくても良いし、まして靴やカバンと色を合わせる必要なんて全くない。
でも、やっぱりそういうのに気を遣ってる人って素敵だ。粋だ。
『オシャレ』というとなんとなく気が引けるのだけれど、『粋』というと憧れてしまうのは、肩の力を抜いて心豊かに生きている感じがするからだろうか。


それにしても、果たして「機能的でない程似合う」のだろうか。
今日、あるお店でとても見た目にしっくり来るバッグを見つけた。
幾何学的な形の大きめのビーズのようなパーツで出来ていて、光沢があり、クラッチ型とミニショルダー型があるのだけれど、両方ともマチはないので物はあまり入らず、おまけに信じられないくらい重かった。
機能的でないことこの上ないけれど、果たしてこれを無理して持つことは粋なのだろうか…と思った。
重さが特に苦にならないとか、ずっとバッグを下げているわけではない環境の人ならば問題ないと思うけれど、苦になってしまったらもう粋ではない。
高いヒールも、それを履く心のウキウキを、歩きにくさや苦痛が上回ってしまったら、粋ではない。
遊びの範疇を超えてしまったら、粋ではないんだ。

結局見た目には心が表われるもの。
見た目は小粋(予定)、頭脳は無粋の己を省み、空を見る。