そうは言っても
ちょっと間が空いてしまったけれど…
そうは言っても、である。
やはり客観的に見て似合うからと言って、誰かに押し付けられた服を渋々着ていたら、それはその人の一番輝ける姿とは違うと思う。
あるいは、勧められたから、自分ではちょっと納得行ってないんだけど着てみてる、とか。
これは私は、わりとやりがち。
逆に、客観的にどうかは知らないけど、これが好き!というポリシーを持って選んだ物を身につけている人は、やはりなんとなく素敵な感じがする。
(必ずしもそれを身につけていることによって少しでも美男美女に見えたり、スタイルがよく見えたりするかはともかく)
お洒落な人や美意識の高い人は、ここの選び方の質が違うのだと思うけれど、ベースの思考回路はあまり変わらないのじゃないかという気がする。
「好き!」って気持ちが判断基準になるというところ。
(基本的に人は成熟する程、相対的な見方、様々な関係性を踏まえた考え方が出来るようになっていくと思う。ファッションリテラシーが高まる程、自分という素材や今持っている服との関係性を踏まえた上で、の「好き」になっていくような気がする)
○○診断などのイメージコンサルティングも、自分を知ること、自分のイケている状態を知ること、そんな自分に愛着を持つこと、その気になればいつでもイケている状態に持っていける術を身につけること…が大事だと思う。
多少時間がかかっても、「愛着を持つ」「好きになる」が、すごく大事だ。
でなければ、せっかく教えてもらった似合うものも「好き!」で選べないし、あるいは誰かに勧められたものがいまいちの時に、「好きじゃない」で切り捨てることができない。
せっかく得た知識も、主客が逆転してしまったら台無しだ。
しあわせを感じたかったら、主体的に生きるしかない。
主体的に生きていくためには、自分の感覚に依るしかない。
粗末にしている自分の感覚なんて、信じられない。
もっとポジティブな表現で書けるとよかったんだけど。
たぶん大抵の人は当たり前に好きなものを買って着ていると思うのだけど、ちょっと自分に言い聞かせる意味もあり記事にしてみた。
いい加減、目の前に衣類があったら、自分にとってどれくらいOKでどれくらいNGかおおよその見当はつくようになっているはずだと思う。それでもなぜか、時々何を信じていいかわからなくなり、店頭で発狂しそうになることがある。(もちろん本気ではない)
いいのだ、「好き!」ならば、例え間違ったって。
どういうわけか知らないけれど、日によって似合っていると思える服は違ったりして、それはコンサルティングで勧められた服であっでも例外ではなかったりする。(たぶん客観的には変わらないのだけど、自分の気分とか主観の話ね)
直感に従って生きていくしかない、んだなあ。
今度日を改めて、「むしろもっと間違わせろ!」という話も書きたい。